後方羊蹄山 ~旅は道連れ 余は情けなし…~
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標高:1898m
登頂日:2006.7.17
後方羊蹄山に登る計画を立てたことは一度もない。
にもかかわらず、登ったことが一度ある。
その経緯はこうである。
寝太郎は大雪山に登る計画で、小樽行のフェリーに乗った。
入港初日、大雪山へ移動日の予定だった。
しかし、フェリーの中で知り合った青年に誘われ、急遽その日に後方羊蹄山に登ることになったのだ。
という訳で、地図すら持たない寝太郎は、終始青年の後にくっついて行動した。
ただただ青年に遅れぬように気を付けて歩いた。
そして頂上に立ったが、全然眺望はなく、翌日の大雪山がメイン山行だったこともあり、すぐに下山した。
下調べもせず、青年の後方を羊のような従順さで行動したうえ、天気も悪かったので、この山の記憶はほとんどない。
写真も2枚しか残ってない。
記録にも記憶にも残ってない情けない状態だ。
覚えているのは、一つだけ。
金魚ならぬ青年のフンとなっている間、彼の歩き方に感心したことだ。
彼は登山道の幅を活用し、こまめにジグザグに歩いて段差の衝撃をうまく低減していた。
「これは真似しよう。」と思った記憶である。
青年も寝太郎のことを覚えているかなぁ。
彼は北海道での単独登山が初めてで、ヒグマが怖くて同行者を探してて、それで寝太郎に声をかけたと言っていた。
彼にとって寝太郎の存在は「熊すず」だった訳だ。
もし、同行者が「広瀬すず」だったら、彼も覚えているだろう。
しかし、我が容姿は「広瀬すず」ではなく「スズ木先生」である。
忘却の彼方の、そのまた北方のムネオハウスのように忘れ去られていることだろう。
ムネオハウスなんて今やほとんどの人が覚えていない。
人間は忘却の生き物。
だから仕方ないのである。
と、ここまで書いて、思い出したことがある。
翌日の大雪山も、旭岳頂上まで青年と一緒に歩いたのだった。
後方羊蹄山の下山後、旭岳ロープウエイまで車を連ねて走り、翌朝の出発時間を約束し、駐車場で車中泊した。
が、寝太郎は寝坊してしまったのだった。
年長者を叩き起こすこともできず、彼は寝太郎の起床を30分程じっと待ってたのだった。スズ木先生を畏れる外務省員のように…
結局、青年の礼儀正しいノックがあるまで、寝太郎は熟睡してた。
その時のヤキモキを青年は絶対覚えているはずだ。
寝太郎は今の今まで忘れてたけどね。
人間は忘却の生き物。
特に寝太郎は都合の悪い事実を忘却する生き物である。
情けないことだが仕方ないのである。